降圧により得られるものは何か?
高血圧は心血管イベント(心筋梗塞、脳卒中など)の主要な予備因子であり、降圧治療の強化によりそのリスクを低減することが多くの研究で示されています。
一方で、「治療をより強めることで薬剤負荷が増えたり副作用が増えることで、患者の健康関連QOL(HRQoL:health-related quality of life)が低下してしまうのではないか」という懸念もあります。
今回ご紹介するのは、降圧目標を「収縮期血圧(SBP)<120mmHg」へ強化した群と「<140mmHg」の標準群を比較し、HRQoLの長期変化を検証したESPRIT試験の結果です。
試験結果から明らかになったことは?
◆背景
降圧治療を強化(目標値をより低く)することで、心血管イベントの発生が減少するというエビデンスは近年蓄積されています。一方で、強化治療が薬剤数の増加・低血圧や転倒リスクの増加・薬剤や通院負担の増加などを通じて、日常生活の質を悪化させる可能性も議論されてきました。
そのため、治療の「量」を増やすだけではなく「患者中心の視点」であるQOL(生活の質)を損なっていないかを検証することが重要とされています。
これまでの降圧強化試験(例:SPRINT)では、QOLに明確な悪化が認められなかったという報告もありますが、追跡期間や対象者の偏り、QOL評価法の違いなど限界も指摘されてきました。
◆研究概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 試験デザイン | オープンラベル、アウトカム評価盲検化、ランダム化比較試験(ESP RIT) |
| 対象 | 高心血管リスクの高血圧患者(対象詳細は論文参照) |
| 介入群 | 集中的降圧治療群:標準診察室収縮期血圧目標<120mmHg |
| 対照群 | 標準降圧治療群:診察室収縮期血圧目標<140mmHg |
| 追跡期間 | 中央3.4年(フォローアップ中央値) |
| 主要アウトカム | HRQoL:5-level EuroQol Five Dimensions Questionnaire(EQ-5D-5L)による評価 |
| 評価方法 | ベースラインおよび最終フォロー時のEQ-5D-5Lスコア比較,分散共分散分析による群間比較 |
◆試験結果
| 群 | 追跡期間中央値 | EQ-5D VAS平均変化 | 群間差(95%CI) | p値 | 相対リスク(RR) |
|---|---|---|---|---|---|
| 集中的降圧群 (n≈5,398) | 3.4年 | +0.56ポイント | — | — | — |
| 標準降圧群 (n≈5,406) | 3.4年 | -0.50ポイント | — | — | — |
| 群間差 | — | +1.26ポイント (95%CI: 0.55~1.98) | p < 0.001 | — | — |
| 意義ある改善 vs 悪化 比率 | — | — | — | — | RR 1.16 (95%CI 1.04-1.30) p=0.007 |
※VAS:視覚的アナログスケール(0–100)による自己評価
※EQ-5Dの5つのドメイン(移動・セルフケア・通常活動・痛み/不快・不安/抑うつ)については、両群で統計的有意差なしという報告あり。
◆試験結果の解釈と意義
この試験では、降圧目標<120mmHgとした“集中的降圧治療”群において、標準群と比べてQOL指標(EQ-5D VAS)の平均値がわずかながら有意に改善しました。群間差1.26ポイントという数字は決して大きくはありませんが、高リスク患者において「降圧を強めてもQOLが低下するという証拠は得られなかった」、「むしろごくわずかな改善が示唆された」という点で臨床的に価値があります。
さらに「意義ある改善(改善>悪化)の割合」が16%高かったという点も、治療強化に対する患者中心視点からの安心材料と言えます。
また、5つの個別ドメインで差が出なかった点をみると、降圧強化による“痛み・不快”“不安・抑うつ”など日常生活の細部においても悪化は認められなかった可能性があります。
◆試験の限界および留意点
- 本試験は中国を中心とする多施設試験であり、対象集団・医療体制・追跡期間が他地域とは異なる可能性があります。
- QOL評価はベースラインおよび最終フォロー時の2回だけであり、途中の変動(例:低血圧エピソード・薬剤変更期)を捉えきれていない可能性があります。
- 平均的なQOL改善幅は「臨床的に意味ある大きさ」と言えるかは議論が残ります(1~2ポイント程度)。
- 降圧強化に伴う低血圧・失神・腎機能変化など副作用リスクがQOLに与える影響は、この報告では詳細には示されていません。
- 本稿での紹介はHRQoLを中心としていますが、心血管アウトカム(イベント抑制)との兼ね合いやコスト・薬剤数増加など実務面での検討も必要です。
◆今後の検討課題
- 降圧強化の実務導入にあたり「QOL維持・改善しながらイベント抑制を図る」ための個別化戦略が重要です。年齢・併存疾患・生活リズムなどを考慮したポリシー設計が求められます。
- 長期追跡におけるQOLの経時変化(例:低血圧エピソード発生時・薬剤変更時・通院負担増加時)を捉えたリアルワールド研究が望まれます。
- 降圧強化群での**副作用プロファイル(転倒・低血圧・腎障害など)**とQOL低下との関連を明らかにする研究が必要です。
- 多地域・多民族・多医療機関を包含した試験での再現性確認が望まれます。
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◆まとめ
高心血管リスクを有する高血圧患者において、収縮期血圧を<120mmHgに設定した集中的降圧治療は、標準<140mmHg目標群と比べて生活の質(HRQoL)を悪化させることなく、わずかながら改善を示しました。
治療強化による「負担増=QOL低下」という懸念に対して、一定のエビデンスが示された点は臨床における安心材料となり得ます。
しかしながら、改善幅は小さく、実務的には患者一人ひとりの背景(年齢・併存症・薬剤数・生活状況)を踏まえた判断が不可欠です。降圧治療の強化を検討する際「この治療が目の前の患者の日常生活にどう影響するか」を、HRQoLという視点からも提示できるよう準備することが、薬剤師・医師の協働で求められるのではないでしょうか?
再現性の確認を含めて更なる検証が求められます。
続報に期待。

✅まとめ✅ 非盲検ランダム化比較試験の結果、診察室収縮期血圧の140mmHg未満の降圧と比較して、120mmHg未満にすることを目標とした強化血圧治療は、心血管リスクの高い高血圧患者のHRQoLにわずかな利益をもたらした。
根拠となった試験の抄録
背景: 蓄積された証拠は、心血管イベントおよび死亡を予防するための強力な血圧 (BP) 低下治療の有益な効果を支持していますが、より積極的な血圧目標が健康関連の生活の質 (HRQoL) に及ぼす影響は依然として不明です。
目的: この研究は、心血管リスクの高い高血圧患者を対象に、集中的な血圧降下治療戦略と標準的な血圧降下治療戦略がHRQoLの長期変化に及ぼす影響を比較することを目的とした。
方法: ESPRIT試験(血管イベントリスク低減における強力な収縮期血圧降下療法の効果)は、オープンラベル、盲検化アウトカム、ランダム化比較試験であった。参加者は、強力な降圧療法(標準的な診察室収縮期血圧[SBP]を120mmHg未満に目標とする)または標準的な降圧療法(診察室収縮期血圧を140mmHg未満に目標とする)のいずれかに無作為に割り付けられた。HRQoLは、ベースラインおよび最終フォローアップ訪問時に、5段階評価のEuroQol Five Dimensions Questionnaire(EQ-5D-5L)を用いて評価した。治療割り当てがHRQoLの変化に及ぼす影響を評価するために、共分散分析を行った。
結果: 本研究では、集中治療群に5,398名、標準治療群に5,406名が参加した。3.4年間の追跡調査において、EQ-5D視覚アナログ尺度スコアは集中治療群で0.56ポイント増加したのに対し、標準治療群では0.50ポイント減少し、平均差は1.26(95%信頼区間:0.55~1.98、P < 0.001)であった。標準治療と比較して、集中治療群はEQ-5D視覚アナログ尺度において、悪化よりも有意な改善の可能性が16%高かった(相対リスク:1.16、95%信頼区間:1.04~1.30、P = 0.007)。ベースラインから最終追跡調査までの5つの領域におけるカテゴリー変化は、2群間で統計学的有意差を示さなかった。
結論: 診察室収縮期血圧を120mmHg未満にすることを目標とした強化血圧治療は、心血管リスクの高い高血圧患者のHRQoLにわずかな利益をもたらした。(血管イベントリスク低減における強化収縮期血圧低下治療の効果 [ESPRIT]; NCT04030234)
キーワード: EQ-5D、血圧目標、健康関連の生活の質、高血圧
引用文献
Modest Effects of Intensive Blood Pressure-Lowering on Quality of Life in Patients at High Cardiovascular Risk: The ESPRIT trial
Xinghe Huang et al.
J Am Coll Cardiol. 2025 Jul 25:S0735-1097(25)06777-4. doi: 10.1016/j.jacc.2025.06.010. Online ahead of print.
ー 続きを読む https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/41105075/

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