― 2つの矛盾した研究を統合した“アドバーサリアル・コラボレーション”による新たな結論(Proc Natl Acad Sci USA. 2023)
収入と幸福度との関連性は?
「お金はどこまで幸福感を増やしてくれるのか?」
この問いは心理学・社会科学で長年議論されてきました。特に有名なのが、次の2つの研究です。
- Kahneman & Deaton(2010)
→ 収入が増えると幸福は増えるが「年収75,000ドル」付近で頭打ちになる(satiation)
→ 約1,000万円で幸福度が頭打ちになるという説の元となった研究 - Killingsworth(2021)
→ 幸福は収入に比例して線形に増え続ける(linear-log)
両者の結果は明らかに矛盾しており、学術界でも活発な議論の対象でした。
今回紹介する論文(PNAS, 2023)は、両研究の著者ら自身が「アドバーサリアル・コラボレーション」という手法で協力し、2つの相反する結果をどのように統合できるのかを検証したものです。
試験結果から明らかになったことは?
◆背景
問題となったのは、収入と幸福の関係が“曲線(非線形)”なのか、“まっすぐ(線形)”なのかという点です。
- Kahnemanらは二値(幸福/幸福でない)の質問を用いたため、幸福が最大値付近まで達すると「違いが判別できない」=天井効果が発生。
- Killingsworthは連続スケールの経験サンプリング法を用いたため、幸福度の細かな差を捉え、線形的な増加を示した。
この違いが、両研究の結論の不一致を生む原因となっていました。
◆研究概要(2023年 PNAS)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 研究デザイン | 過去2研究のデータ再解析 (アドバーサリアル・コラボレーション形式) |
| 解析対象 | Killingsworth 2021の経験サンプリングデータ(連続スケール) |
| 目的 | 収入と幸福度の関係における「非線形性」、「層による違い」を再評価する |
| 評価指標 | 幸福度(連続スケール)、収入(対数変換) |
| 主要検証点 | – 幸福度の分布(特に下位層)での「頭打ち」が存在するか – Kahneman & Deatonの測定手法による歪みの有無 |
◆主な結果
1. 幸福度の“下位グループ”では、収入効果が頭打ち
| 幸福度層 | 収入と幸福の関係 |
|---|---|
| 最も不幸な層(bottom group) | 一定収入まで増加 → その後頭打ち(flattening) |
| 中間層〜上位層 | 収入が増えるほど幸福が増加(線形-log) |
| 最も幸福な層 | 収入上昇に伴い幸福が加速的に増える(accelerating) |
※頭打ちは特定の層(不幸な層)に限定
2. 全体平均で見ると、線形-logに見える
- 上位層での「加速」と、下位層での「頭打ち」が相殺され、
→ 全体平均では線形的に見える(Killingsworth 2021の結論)
3. Kahneman & Deaton 2010の「頭打ち」結論は一部過大
理由:
- 二値質問による天井効果
- 「幸福(happiness)」ではなく「不幸(unhappiness)」を見るべきだった
- 幸福分布の形状変化を想定していなかった
考察:矛盾する2研究の “統合的理解”
本研究の最も重要な結論は、
収入は幸福度の分布によって異なる影響を持つ。
「不幸な層」では頭打ちが起きるが、それ以外は増え続ける。
という“調和的な統合モデル”が示された点です。
◎ ポイントまとめ
- 不幸な層:収入が増えてもある地点で幸福度は改善しにくい(制限因子が別にある可能性)
- 一般〜幸福な層:収入が増えるほど幸福が増え続ける
- 最幸福層:収入への反応が最も強い
- 全体平均では線形-logに見える(矛盾の解消)
試験の限界
本研究には次のような限界がある:
- 本研究は既存データの再解析であり、前向き研究ではない
- 使用したデータは主に経験サンプリングによるもので、自己報告のバイアスが存在し得る
- 収入と幸福の関係に影響する文化差・社会構造の差は考慮されていない
- 「幸福」を測る指標が研究間で異なり、完全な統一は不可能
- 観察研究であるため、因果関係を証明するものではない
- 幸福度の分布が収入によって「系統的に変化する」という現象自体、
多くの社会科学研究で前提とされてこなかった点で、今後の検証が必要
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◆まとめ
今回の “アドバーサリアル・コラボレーション” 研究は、新たな知見をもたらしました。
- 「お金が幸福を増やすか?」の答えは “人による”
- 不幸な層では頭打ちが見られる
- 幸福な層では収入とともに幸福が増え続ける
- そのため「平均」では線形-logに見える
- 過去研究の矛盾は、統計手法とサンプル特性によるものだった
幸福の問題は単純な “一直線の関係” ではなく、分布と層の問題として理解すべきである、という重要な示唆が得られました。
ただし、国や地域で異なる可能性があること、さらには時代背景により結果が異なることが予想されます。
再現性の確認を含めて更なる検証が求められます。
続報に期待。

✅まとめ✅ 経験的サンプリング手法を用いた研究の結果、不幸な層を除き収入と幸福度の関連性に天井効果はなく、線形的な増加を示した。
根拠となった試験の抄録
収入が増えると人は幸せになるのか?本論文の著者2名が矛盾する回答を発表している。前日についての二値質問を用いた研究 [Kahneman and Deaton, Proc. Natl. Acad. Sci. USA 107 , 16489-16493 (2010)]では、平坦化パターンを報告した。すなわち、幸福度はlog(収入)とともに着実に増加し、閾値を超えた後、横ばいになった。一方、連続尺度の経験サンプリングを用いた研究 [Killingsworth, Proc. Natl. Acad. Sci. USA 118 , e2016976118 (2021)]では、線形対数パターンを報告し、平均幸福度はlog(収入)とともに一貫して上昇した。両研究の一貫した解釈を探すため、我々は敵対的協力を行った。Killingsworthの経験サンプリングデータの再分析により、平坦化パターンは最も幸福でない人々にのみ確認された。幸福度の高い人々の間では、幸福度は対数所得の増加とともに着実に増加し、最も幸福なグループではその増加速度が加速する。相補的な非線形性が、全体的な線形対数関係に寄与している。次に、カーネマンとディートンが平坦化パターンを誇張し、キリングスワースがそれを発見できなかった理由を説明する。カーネマンとディートンが、幸福度ではなく不幸度で結果を説明していたならば、正しい結論に達した可能性があると我々は示唆する。彼らの尺度は、天井効果のために幸福度を区別することができなかったからである。両研究の著者は、所得の増加が幸福度分布の形状の体系的な変化と関連していることを予期できなかった。従属変数の誤ったラベル付けと均質性の誤った仮定は、社会科学では標準的な慣行の結果であるが、より頻繁に疑問視されるべきである。我々は、敵対的協働の利点を強調する。
キーワード: 幸福、経験サンプリング、幸福、収入、収入の満足度
引用文献
Income and emotional well-being: A conflict resolved
Matthew A Killingsworth et al. PMID: 36857342 PMCID: PMC10013834 DOI: 10.1073/pnas.2208661120
Proc Natl Acad Sci USA. 2023 Mar 7;120(10):e2208661120. doi: 10.1073/pnas.2208661120. Epub 2023 Mar 1.
ー 続きを読む https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36857342/


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